気になるニュース・資格取得など
無駄に情報を詰め込んだ雑記ブログ
競馬

元競走馬に第二の人生を・・・『安楽死』・『引退後→処分』の厳しい世界

競馬好きにとって胸が痛くなるニュースを最近よく目にします。人間に利用され、結果として安楽死…馬にとって、自らその選択を希望したわけではないので本当に可哀想です。

今回は、レース記事ではなく、競走馬の『安楽死』と『引退後の受け皿』について書いてみたいと思います。

競走馬の現実・・・安楽死

重賞2勝馬オーシャンブルーが骨折のため安楽死

2012年の金鯱賞(GII)と2014年の中山金杯(GIII)を勝利、2012年の有馬記念(GI)2着などの実績を持つオーシャンブルーが馬房内で左後肢を骨折し、安楽死処置が施された。14歳だった。4日、けい養先のYogiboヴェルサイユリゾートファームがホームページ上で発表しました。

2011年2月に小倉競馬場で行われた3歳新馬戦でデビュー。3戦目の未勝利戦を勝ち上がると、続く樟葉特別(500万下)と阿賀野川特別(1000万下)を連勝し、3歳シーズンを終えた。降級後、2012年8月に西部スポニチ賞(1000万下)を制し、同年10月の大原S(1600万下)を制しオープンクラス入り。同年の金鯱賞では12頭立てのうち半数が単勝10倍を切る混戦ムードの中、道中8番手追走から他馬との追い比べの末に重賞初制覇。続く有馬記念では、最終直線の大外からゴールドシップとルーラーシップが強襲するなか、馬群中央から抜け出しを図り、GI初挑戦ながら2着に好走を果たした。

2013年3月の日経賞(GII)に出走後、馬房内で左前脚を打撲し、シンガポールへの招待を辞退し休養に入り、秋競馬から再始動。4歳時は計4戦で終えたが、翌2014年1月の中山金杯では57.5kgのトップハンデをものともせず、カルドブレッサ、ディサイファ以下を抑えて重賞2勝目を飾った。通算成績は30戦7勝。

現役引退後は2016年から種牡馬入り。2020年シーズンで種牡馬を引退し、その後はYogiboヴェルサイユリゾートファームで余生を過ごしていた。

Yogiboヴェルサイユリゾートファーム公式HP

Yogiboヴェルサイユリゾートファーム

21年ダービー4着グレートマジシャン安楽死

新潟11R・関越S(3歳以上オープン、芝1800メートル)で1番人気に支持されたグレートマジシャン(牡4=宮田、父ディープインパクト)は最後の直線で競走を中止。安楽死処分となった。通算成績5戦2勝。

サンデーサラブレッドクラブはホームページで「JRAの獣医師が診たところ、右前脚の繋靭帯の内側と外側が切れかかっているとともに球節を亜脱臼しているとの診断でした。症状からすでに手の施しようのない状況であることから、まことに残念ながら予後不良の診断が下され、安楽死の処置がとられました」と発表した。

グレートマジシャンは20年11月にデビューして新馬勝ち。21年はセントポーリア賞で連勝とし、G3・毎日杯が2着、G1・日本ダービーは4着に入った。その後、秋の復帰を前に右前脚の種子骨靱(じん)帯の炎症を発症して休養。今回が1年2カ月ぶりの実戦だった。

 

引退競走馬の“受け皿”「相馬野馬追」

引退競走馬の“受け皿”としても重要な役割を担う「相馬野馬追」。今年も多くの元競走馬が出陣しSNSでも話題を呼んだ。中には“あのゴルシ産駒”の姿もあったそうです。世界最大級の馬の祭『相馬野馬追』とは・・・

千年以上の歴史を有する世界最大級の馬の祭「相馬野馬追」が、7月23日(土)から25日(月)にかけて、福島県の太平洋側に位置する相馬市と南相馬市、浪江町を舞台に開催された。

コロナ禍のため3年ぶりの通常開催となった今年の相馬野馬追には、五郷騎馬会(宇多郷、北郷、中ノ郷、小高郷、標葉郷)から350騎ほどが出陣した。

甲冑をまとった騎馬武者が街中を進軍する「騎馬武者行列」、旗指物を背にした武者たちによる「甲冑競馬」、空から舞い降りる神旗を奪い合う「神旗争奪戦」、騎馬武者たちが裸馬を追い込む「野馬懸(のまかけ)」などが、大勢の観客の前で行われた。

出陣する馬の約9割が元競走馬

相馬野馬追に出陣する馬の9割ほどが元競走馬だ。つまり、この祭は、引退した競走馬が「第2の馬生」を歩むうえで、非常に大きな受け皿となっているのである。

今年もたくさんの元競走馬が、新たな役目を懸命にこなす姿を見ることができた。なかには、「あの馬はここにいたのか!」と話題になり、ツイッターのトレンドワードになった馬もいた。

御発輿(ごはつよ)の行列で出会った馬たち

各騎馬会の馬の到着を雲雀ヶ原祭場地前で待っていると、中ノ郷騎馬の佐藤弘典さんが声をかけてくれた。騎乗しているのはハギノグラミー(牡12歳、父タニノギムレット、中央12戦0勝、地方3戦1勝)だ。佐藤さんはかつて大山ヒルズのキッチンマネージャーをつとめていた。また、乗馬のインストラクターの資格も持っているので、入ったばかりの若手に馬乗りを教える役割も担っていたという。ハギノグラミーは、現在、佐藤さん自身が所有して繋養する、いわゆる「自馬(じば)」である。(※なお、現在はセン馬になっていても、現役時代に去勢されていなかった場合、プロフィールには「牡」と記す)

小高郷螺役の今村一史さんが乗るプレシャスベイブ(牝16歳、父グランデラ、中央3戦0勝、地方2戦0勝)は、普段、栃木の乗馬クラブにいる馬だ。2015年に初めて野馬追に出てから、縮小開催となった年以外は毎年参加している。野馬追に出る馬の半数ほどは、この馬のようにほかの地域からこの時期だけレンタルされてくる馬たちだ。

雲雀ヶ原祭場地の内馬場の小高郷纏場(まといば)の前に、小高郷騎馬隊の本田賢美(さとみ)さんが騎乗するニホンノチカラ(牡13歳、父ハーツクライ、中央7戦1勝)がいた。曳き手綱を持っているのは、賢美さんの母・宏美さんだ。後述するが、賢美さんの兄・賢一郎さんと、父・博信さんも出陣している。

相馬野馬追は単なる「祭」では無いようです

翌朝、ホテルから雲雀ヶ原祭場地近くの駐車場へ向けてクルマを走らせると、一般道のアスファルトにボロ(馬糞)が落ちていた。しばらく進むと、前方に、甲冑行列の出発地点を目指す騎馬武者たちが見えてくる。南相馬ならではの光景だ。ドアミラーには、ほかの騎馬武者たちの一団が映り、こちらのテンションも上がってくる。

相馬地方には、まるで犬を飼うように、自宅の敷地で馬を飼育している人がたくさんいる。馬と人との距離が、ほかのどの地域より近いのだ。この地に住まう人々にとって、相馬野馬追は単なる「祭」を超越した、人と馬、人と人との絆を確かめ、さらに強める特別なものになっている。

Twitterでも話題…初出陣のブラックホール

そんな今年の相馬野馬追に関して、SNS上で、他の追随を許さぬ主役になっていた元競走馬がいた。

2019年の札幌2歳ステークスを制したブラックホール(牡5歳、父ゴールドシップ、中央10戦2勝)である。「ゴルシ」の愛称で人気のあった「猛獣」ゴールドシップ産駒として重賞初制覇を果たし、3歳時にはクラシック三冠に皆勤。4歳になった21年1月の万葉ステークスで8着に終わったのを最後に、故障のため現役を退き、行き先がはっきりしなくなっていた。

そこに突然、ブラックホール本人(本馬? )のツイッターアカウントが登場し、相馬野馬追に初出陣することが明らかになったのだ。7月23日、土曜日の早朝のことだった。フォロワーはみるみる増え、「いいね」も多いもので6000以上、リツイートも1000以上に。いわゆる「バズった」状態となり、「ブラックホール」がツイッターのトレンドワードになるほどだった。

しかし、どの騎馬会の武者が騎乗しているのかは、ツイッターの写真に、役職と氏名が書かれた肩章が写っていなかったので、わからなかった。とりあえず、鞍上が背負った旗指物の写真をスマホに保存し、日曜日の騎馬武者行列で見つけることにした。

あのGI皐月賞馬も登場

騎馬武者行列は、中ノ郷、小高郷、標葉郷、北郷、宇多郷の順に雲雀ヶ原祭場地へと進軍してくる。

馬装のどこかに馬名が記されているわけではないので、マークしていた馬を見つけるには、どの騎馬武者が乗っているのかをあらかじめ調べておかなければならない。そのうえで、騎馬武者の行列順序がわかる「相馬野馬追御行列列帳」と、騎馬武者が左肩につけた肩章で名前を照らし合わせるのだ。あるいは、ブラックホールのケースのように騎馬武者の名前がわからない場合は、旗指物の図案を覚えて、それを探すことになる。

まず見つけたのは、中ノ郷組頭の岡崎義典さんが騎乗するディライトフル(セ11歳、父フジキセキ、中央22戦7勝)。19年の京都ジャンプステークスを勝った馬だ。

ほかにもマークしていた馬が来た。北郷騎馬の五賀愛華さんが乗る、02年の皐月賞馬ノーリーズン(牡23歳、父ブライアンズタイム、中央12戦3勝)である。震災直後は南相馬市原町区の松浦ライディングセンターにいたのだが、現在は同市鹿島区の鹿頭ステーブルで繋養されている。過去にも野馬追に出た経験があるだけに、歩様も堂々としている。

こんなふうに、現役時代を知る元競走馬が、「第2の馬生(種牡馬や繁殖牝馬を経験した馬にとっては『第3の馬生』だが)」で新たな居場所を得て、人間たちと支え合っている姿を見ると、非常に大きな安堵感を得ることができる。

相馬野馬追公式HP

相馬野馬追公式HP

最強伝説ディープインパクトの孫娘たどり着いた場所

馬の寿命は25~30歳とされる。ただ、競走馬でその生涯を送れるのはごく一部に過ぎない。

飛ぶように駆け、無敗で3冠馬になったディープインパクトを祖父に持つサラブレッドでも、それは変わらない。

ディープインパクトは引退後に種牡馬(しゅぼば)となり、約1800頭の子どもがいる。その孫となれば……。

北海道から群馬へ

群馬県の赤城山を望む前橋市郊外。森の中にある、競馬場とは無縁の看板もない小さな牧場にこの春、まだ4歳になったばかりの牝馬(ひんば)がやってきた。

「おいしいかい」

飼い主になった金井徳雄さん(71)が、少し緊張気味の馬に声をかけた。

来て間もない頃はニンジンも食べなかったから、エサを食べてひと安心だ。

競走馬の8割が生まれる北海道日高地方にある、浦河町の高村牧場で、この馬は育てられた。ニーマルエースという名をもらい、デビュー。藤田菜七子騎手も騎乗したことがある。

脚が長くて期待されたが、勝てなかった。デビューから8カ月余、未勝利のまま昨秋のレースを最後に引退した。

「引退→処分」の厳しい世界

競走馬の世界は厳しい。

毎年6千頭が引退する。繁殖用や乗馬用に転身できても、再調教が難しい場合や、けが、高齢などの理由で処分される馬が多い。小柄なニーマルエースは、繁殖には向かないと判断された。

「前向きでやさしい馬だから、人と触れ合える馬になれれば」と話すのは、牧場代表の高村祐太郎さん(38)。世話をする人に近づいて、じっとしている。歩く時は人のペースにあわせてくれる馬だという。

たまたま縁がつながった先が金井さんのところだった。有料老人ホームを運営する傍ら、趣味で動物を飼っている金井さんは「動物は家族の次に大切な存在」が口癖だ。

牧場には、木曽馬やミニチュアホースなど馬が10頭ほどいて、先輩たちに鼻を寄せてあいさつした。

新たな出発に、新しい名前をつけた。

「大丈夫だよな、はな」

金井さんは、やさしくなでて語りかけた。

牧場を訪れ、「はな」と接した利用者の心は自然と和らぐ。「はな」のおだやかな引退後の生活は始まったばかりだ。

「馬術」×「球技」究極の人馬一体!ホースボール

元競走馬の第二の人生として注目されている『ホースボール』

みなさんホースボールってご存じです?

ホースボールとは

ホースボールとはその名の通り、「乗馬を行いながら球技を行うスポーツ」であり、人馬一体となり猛スピードで激しくボールのやり取りをするところから「ケンタウロスのラグビー」と例えられることもある。

ルールは至ってシンプルだ。多くの球技と同じく、より多くゴールを取ることを目的とし、点数を競い合う。4騎対4騎で馬に乗ったまま、皮の取っ手のついた特殊なボールを扱いながら、ドリブル・パス・タックル・シュートなどをしていくのが基本的なルールになるが、中々日本人にとって試合も見たことがない馴染みのないものだろう。

元競走馬も引退後に活躍

千葉県富里市にある日本ホースボール協会は、日本で唯一ホースボールが出来る施設。代表の西島さんは日本で唯一の存在として精力的に活動を続け、一時はまわりにホースボールをやる人がいなくなっても、諦めずに日本代表チームを作り上げた。現在日本の競技人口はおおよそ30人で、元競走馬とともに練習に励んでおり、仲間を集い、今では日本代表としてワールドカップに出場するまでになったみたいです。

西島さんは「やっとスタートラインに立てるとこまできた」と胸の内を明かした。現役JRA調教助手が制作するYouTubeチャンネル「おさむとなべ Next Challenge」に出演した同代表は、ホースボールの魅力について「カウンターで攻める時のスピード感、一気にカウンターとかで(お客さんと)盛り上がるところ」など、ワールドカップ出場については「走りながら整備しているところです」と意気込みを話した。

また、まだ競技人口が極めて少なく、整備が整っていないこの競技では、ワールドカップへの出場には金銭的にも大きな負担があり、日本ホースボール協会では現在、ワールドカップ出場費用などの活動資金をクラウドファンディング(キャンプファイヤーで7月31日まで)で募っている。日本を代表してワールドカップに初出場する『ケンタウロスジャパン』の活躍が期待される。