なぜ「うんち」は臭いのか。北海道大学大学院の増田隆一教授は「1000兆個に及ぶ腸内細菌が働いている証拠だ。腸内細菌のいない消化管は存在しないため、『においのないうんち』はありえない」という。増田教授の著書『うんち学入門』(ブルーバックス)から、エミルダとうんち君の物語をお届けする――。(第1回)
■なぜ「うんち」はクサイのか…排泄物特有の臭いの正体
「そうだ、ずっと気になっていたことがあった!」
うんち君は、大事なことを忘れていたとばかりに勢い込んでこう訊ねました。
「ねえ、ミエルダさん。『うんち』にはなぜ、特有の臭いがあるの? その……、どうして僕は臭いの?」
「君は決して臭くなんかないさ。そのにおいにはちゃんと意味があるんだ。まずは、なぜ特有の臭いがするのか、その理由を探ってみよう」
動物の食性は、主として「肉食」「草食」「雑食」の3種類に分けられ、そのどれに属するかは、動物の種によってほぼ決まっています。
それらの食べ物は、消化管を通っていくあいだに、胃や、消化管につながっている肝臓や膵臓(すいぞう)などの各器官から分泌される物質と反応します。
「うんち」には、その代謝過程でつくられた代謝産物や未消化の食べかすが含まれるため、何を食べたかによって、特有のにおいがする一因となっています。
「そういった食物に由来する成分以外に、『うんち』の中には、消化管に寄生している腸内細菌や寄生虫も含まれているんだ。特に腸内細菌のなかに、特有の臭いを出すものがいるんだよ」
■腸内細菌が「うんち」や体調を左右する
「『うんち』中の成分にも、いろいろあるんだね。もっと詳しく知りたいなあ」
「健康なヒトを例にしてみると、『うんち』の重さのうち、約80パーセントは水分だ。残りの約20パーセントのうち、3分の1を食べ物の未消化物が、3分の1を消化管から剝がれた腸粘膜の組織が、そして、残りの3分の1を腸内細菌やその死骸が占めている。『うんち』は通常、固形物だけれど、水分を含んでいて、その形が変わっても腸の中で化学反応を円滑におこない、柔軟にその形を変えられるようにしているんだ」
「『うんち』の形が変わる……?」 「そうなんだ。たとえば、ヒトの腸内細菌は、ヒトが生活していくうえで役に立つ善玉菌と、悪さをする悪玉菌、それ以外の日和見菌に分けられる。腸の中で繁殖しているこれら三つのグループの生存比が、なんらかの原因でバランスを崩すと、宿主であるそのヒトの体調も変わってしまうことがある。そうなると『うんち』の形が変わって、下痢状や軟便、便秘になるんだ」 ■いつもより臭いおならが出たら要注意 腸内細菌は、腸内にある消化物を栄養源としながら「寄生生活」を送っています。 腸内細菌の体内における代謝の過程で合成された「においのある物質」が放出されることでも、「うんち特有のにおい」が発生します。 ミエルダが補足してくれます。 「腸内細菌の種類によって、放出される『においのある物質』の種類も量も異なるんだ。肛門から出る『おなら』のにおいは健康状態によってさまざまに異なるけれど、それは腸内細菌の種類と生存比が、腸の持ち主の状態を反映しているからだ」 「たとえば、ふだんより臭い『おなら』が出たら、健康状態が良くない可能性がある。便秘のときには『硬いうんち』となり、下痢のときには『水状のうんち』となって、そのにおいが違ってくる。『うんち』や『おなら』のにおいで、自分の健康状態をある程度、把握することができるんだ」 ■1000兆個の腸内細菌が健康を守っている 「どんな『うんち』にも、必ず腸内細菌がいるの?」 「そのとおり。腸内細菌は、ほとんどの動物の消化管に寄生している。たとえば、哺乳類では、子ども(胎児)がお母さんの子宮の中にいるあいだは無菌状態で、その胎児の体内に細菌はいない」 「でも、その子どもが生まれた後には、口と肛門から細菌が消化管に侵入したり、母親から与えられる母乳とともに細菌が消化管にやってきてすみついたりすることになるんだ。鳥類の場合は、卵の中にいるヒナについては無菌状態だけど、孵化後、親鳥との接触やエサを通して細菌が口と肛門から侵入し、消化管内で腸内細菌になっていく」 「消化管の中には、どれくらいの数の腸内細菌がいるの?」 「個々の腸内細菌は目には見えないほど小さいけれど、その数は膨大だ。ヒトでいえば、健康な成人の大腸に寄生する腸内細菌の数は600兆~1000兆個で、その種数は約500~1000種類、重量は1~1.5キログラムほどと考えられている。そして、その細菌の種類と数は、個人や動物の個体によってさまざまであり、先に述べたように、一個人の中でも体調によって、腸内細菌の生存比などの状況が変わりうる」
「また、腸内細菌自身の中でも代謝が起こり、その結果生じるさまざまな生成物が排泄物として細菌体外へ放出される。それらが含まれることで、『うんち』から発散されるさまざまなにおいとなる」 ■腸内細菌のシンプルな構造 細菌とは何か、簡単にまとめておきましょう。『うんち学入門 生き物にとって「排泄物」とは何か』で見たように、あらゆる生き物は、三つの「ドメイン」に分けることができます。多くの腸内細菌は、そのうちの「真正細菌ドメイン」に含まれ、すべて単細胞です。 腸内細菌の細胞は細胞壁に囲われ、内部にはDNAでできた遺伝子が入っています。 しかし、遺伝子を囲む「核膜」とよばれる構造は存在せず、細胞内のはたらきを分業する細胞小器官も少ないという特徴をもっています。このような生物を「原核生物」とよびます。 ちなみに、海底の熱水噴出孔周辺の高温の海水中や、塩分の高い湖の水中などの極限環境に生活する「古細菌ドメイン」に所属する細菌も、この原核生物です。古細菌には、腸内細菌に含まれるものもいます。 一方、それ以外の生物はヒトを含め、核膜や種々の細胞小器官をもつ「真核細胞」から形成されています。真核細胞からなる多くの生物は多細胞生物ですが、単細胞で生活するものもいます。 ■腸内細菌が放出する硫化水素、インドール… 「腸内細菌は消化管の中で、どんな生活をしているのかなあ?」 うんち君は、ヒトの場合では1000兆個にも及ぶという腸内細菌の暮らしぶりが気になるようです。 前述のとおり、腸内細菌も生き物なので、その細胞内では当然、代謝がおこなわれています。腸に流れてくる食べ物の消化物を栄養分として細胞内に取り込み、種々の化学反応によってエネルギーを取り出します。 一連の反応の結果、生成された物質が排泄物として細胞外に放出されますが、それら腸内細菌が放出する物質のなかには、硫化水素などのイオウ化合物や、インドールなどのにおいのある化学物質が含まれています。 これが、「うんち」に特有のにおいをもたらす大きな原因となります。 「腸内細菌はほとんどすべての動物に寄生しているから、『うんち』に特有のにおいがあることは当然のことなんだ。もし腸内細菌がいなければ、『うんち』はほとんどにおわないだろう。でも、腸内細菌のいない消化管は存在しないから、『においのないうんち』はありえないんだ」 「『うんち』が臭い原因は、腸内細菌がいるからなんだね。そして、ほとんどの動物に腸内細菌がいるということは、ヒトも含めた動物の「うんち」に特有のにおいがあることは当然のことなんだね!」
■臭くない「うんち」はありえない
自分のにおいを気にしていたうんち君に、元気が出てきたようです。
「そのとおりだ。細菌がエネルギーを得るために、酸素を用いないで栄養素を分解することを発酵という。発酵は腸内細菌だけでなく、消化管の外にすんでいる多くの細菌もおこなっている現象だ。ヒトは種々の食べ物を加工する経験を積み重ね、細菌によるこの発酵を利用してきたんだよ」
「たとえば、味噌、醬油、納豆、酒、ワイン、ヨーグルトなどの食品や飲み物は、すべて発酵によってつくられている。これらの食品に特有の香りは、細菌による発酵によって生み出されている。『うんち学入門 生き物にとって「排泄物」とは何か』で、腸内細菌のはたらきについて、もっと詳しく考えていこう」
「『うんち』について少しずつわかってきたよ。次の旅が楽しみだ!」
じつは「うんち」には、腸内細菌が放出したにおい物質の他にも、「うんち」の落とし主が意図的に混ぜる「においのある物質」が含まれていることがあります。
その「におい」には、動物が生きていくうえで大切な役割があることが解明されつつあります。積極的に排泄された「うんち」のにおいが、動物個体間や種間のコミュニケーションのために大いに役立っているのです。
「うんち」は特有のにおいをもっているからこそ意味があり、そのにおいは「さまざまな生命活動の合作」としてできあがった個性であるといってもよいかもしれません。うんち君も、そのことがだんだんとわかってきたようです。
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増田 隆一(ますだ・りゅういち)
北海道大学大学院 理学研究院 教授
1960年、岐阜県生まれ。北海道大学大学院修了(理学博士)。アメリカ国立がん研究所(NCI)研究員等を経て、現職。2019年度日本動物学会賞、日本哺乳類学会賞を受賞。著書に、『哺乳類の生物地理学』(東京大学出版会)、『ユーラシア動物紀行』(岩波新書)、『ヒグマ学への招待』(北海道大学出版会・編著)、『日本の食肉類』(東京大学出版会・編著)、『生物学』(医学書院・共著)など多数。
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北海道大学大学院 理学研究院 教授 増田 隆一